―WONDER MAKER―(第一章)
第一章 さすらいのトラブルメーカー、俺の名はロミオ。
魔法族が地上に降り立ち、千年の歳月が流れた。
数百年間、全ての魔法族の頂点に君臨した【オーバーロード】の敗北から二十年。
王者を失った世界は乱れ、歴史の中でくすぶり続けた眠れる猛者たちが目を覚まし、次の王座を狙って各地で血で血を洗う争いを繰り広げていた。
世はまさに、『戦国時代』――。
世界地図の最東端〝極東〟に位置する島国、ネバーランド。
島の西岸の港町『ドランクタウン』にある小さな酒場の屋根裏には、一人の少女が住んでいた……。
「おまたせ! 待たせちゃってごめんねっ皆!」
『わああ!』
その少女の名はメル。年齢は十六歳。
古びた木造の酒場『コルクの家』の裏口から出た路地裏にて、近所の貧しい子供数人と客の食べ残しを囲む彼女は、この店に住み込みで働く看板娘である。
柔和な顔立ちの可憐な容姿で、特徴的なのは大きな翠玉色の瞳、癖っ毛の薄紅の長髪。
年の割には化粧っ気がなく幼い印象の彼女だが、華奢な体躯に着る暖色の給仕服&白い頭巾は程良く生地が傷み汚れている。
その雰囲気を端的に表現するならば、世間知らずな働き者の田舎娘だ。
「えっと、ライ麦のパンと小海老、南瓜の煮物と……あっ、牛乳忘れてた!」
『おいしそ~!』
「ちょっと取りに行って……」
『やだやだ! 早く食べたい!』
「でも、食べ物が喉に詰まったら大変だし……って、あれ?」
最後の台詞がメルの口から出たときには、子供は全員目の前の料理に必死に食らいついていた。
その姿を見て、メルは小さな溜息を零してから、その場にしゃがんで自然と緩んだ表情を作る。
(……)
ひっそりとした日陰に隠れたこの狭い路地裏の隙間から酒場の表にある大通りを見ると。
美しく舗装された石畳の道を闊歩する島の住人たちの往来の中には、メルと同い年くらいの若く美しい少女たちの姿もあった。道行く少女たちは皆年相応に色気づき、周囲の異性の目を惹きつけるような青く爽やかな魅力とキラキラとした輝きに満ちていた。
その光景に思わず目が眩みそうになりながら、メルの大きな瞳は再び子供の姿を映し出す。
『子供は村の宝だ』。
メルは六歳の時に、そんな言葉を残した故郷の大人に見守られながら〝空飛ぶ帆船〟に同郷で生まれ育った少年少女たちと共に乗せられて、このネバーランドへと旅立った。
今から十年前だ。
故郷の村が隣国の魔法族と悪名高い過激派の亜人族の争いに巻き込まれ、村全体が戦火に包まれた彼らは住む場所も家も全部を失ってしまった。
やがて辛くも戦いに勝った亜人族側の統率者がその地を根城にする決定を下し、一斉に野蛮な戦士たちが押し寄せる危機的状況になった時……。
のちに起こる悲劇をすぐに察知した村人の尽力によって子供全員がなんとか故郷から逃げることに成功したのである。
あまりにも早すぎる衝撃的な別れだったが、島にたどり着いた後に経験した数々の苦難や日々の忙しさ故の残酷な時間の流れが、最後に船から見たはずの命の恩人たちの顔の表情とその姿の記憶すらも綺麗に洗い流してしまっていた。
『うっ……』
「?」
『の、のどにカボチャつまっちゃった……』
「ええっ⁉ た、大変っ! 早く背中叩かないと!」
アハハハ……。
咀嚼が足りずに食事の手が止まった少年の背中を叩くと同時にあたふたと狼狽えるメルと、そんな間抜けでありふれた光景を見て小さな歯を見せて大きく笑う子供。
憂鬱な物思いに沈む間もなく、流れる時間はいつもの慌ただしさを取り戻した。
弱者に厳しい戦国時代であっても、子供には生きる希望を見いだして強く生きてほしい。このひとときの平穏こそが、メルの幸せだった。
……しばらくして。
皆で料理を平らげた後、ふと給仕服のポケットから懐中時計を出す。
時刻は午後〇時五五分。メルの昼休憩ももうすぐ終わりだ。
「じゃあ、私はそろそろお店に戻るね?」
すっと立ち上がって、背後に佇む裏口扉の方向にくるりと身体を回したメルのお腹が、ぐぅ、と年頃の乙女にとっては少々気恥ずかしい音を鳴らした。
「あっ……」
少し大きめな腹の虫だった。思わず赤面したメルは、ちらりと子供の方を見やる。
『メルちゃん、美味しかったよ~!』
『うまかった!』
『ありがとう!』
『ごちそうさま~!』
子供は皆食事の礼をした後、大通りとは反対側の路地裏の出口へと走り去っていく。
どうやら幸い、今は満腹感を味わうのに精一杯で意識がこちらに向いていなかったようだ。
(あはは……よかった。聞こえてなかったみたい。そういえばあの子たちを見てばかりで自分が食べるの忘れてたなぁ……)
「まあ、私なら夜までに何かつまめば大丈夫だよねっ」
やや鼻息を荒くしつつ、扉の取っ手に手をかけた。
その瞬間だった。
キャアアアアアアアアア……。
「……?」
大通りの方から、甲高い悲鳴が届いた。
メルは扉から離れ、路地裏からひょっこりと顔を出してみる。
(なんだろう。……あれ、どうして皆立ち止まってるの?)
さっきの悲鳴が上がるまでは騒々しい人々の雑音に満ちていた大通りでは、今はまるで時が止まったかのような非日常的な光景が広がっていた。
緊張した場の空気が、明らかになにかの異変を物語っている。
すると佇立した人々の中から、大通りの真ん中を走る一人の男性の姿がメルの視界に飛び込んできた。
男性はなにやら必死の形相であったが、その死に物狂いの走りのせいで胸の前に抱きかかえた袋の中からボロボロと野菜や果物を落としてしまっている。
その様子は、まるで誰かから逃げているようにも見えた。
『ハァ、ハァ……!』
極度の疲労か、不摂生か。
ひどく青白い顔でよたよたと走り続ける男性の頬は痩せこけており、遠目から見ても着ている衣服はボロボロだ。
『ハァ、ハァ……クソッ、このままじゃシュバリエ共に追いつかれちまう! 家で腹空かせた女房とガキがっ、オレの帰りを待ってるってのに! ゲホッ……だっ、大体、お前らがよそ者の俺たちをこんな風に……』
彼の口ぶりからすると、この異変の正体は貧しいよそ者による万引き騒ぎなのだろう。
世界的にも平和で有名なネバーランドにはメルのような、海外の魔法族&一部の亜人族による〝勢力争い〟から逃れてきた人々が一定数住んでおり、彼らは『ロストボーイ』、または『ロストガール』と呼ばれている。
ロストボーイたちはあくまで〝少数派〟の住人であり、海外から身一つで異境の地にやってきたよそ者のため、島内での立場は弱く、中には過酷な重労働を行ったり仕事にありつけずに無職になる人もいるらしいのだが……。
今回のような万引き騒ぎは、この港町ドランクタウンではそれほど珍しくはなかった。
『ハァ……だが、さ、流石にもう、あいつらの体力にも、限界が…………ん?』
……時に。
強者は一切の遠慮も躊躇いもなく、弱者から大切なモノを奪っていく。
力のない者は奪われる。
奪われる者は、弱いのだ。
〝弱肉強食〟の法則からは、何者も逃れることはできない。
それが、この世界を、戦国時代を生きることなのだから。
ジジジジジ……。
――――〝炎の爆風〟。
(――えっ)
路地裏にいるメルの耳にも微かに火花の散る音が届いた。
その直後、走る男性に横から大きな爆炎が襲いかかる。
ボォォオオオオオオオオン!
『っ……ォオ……!』
瞬く間に、全身が黒焦げになる。
男性はそのまま宙を舞った後……数秒後に、石畳の上に倒れ込んだ。
再び、静寂が訪れる。
しかし。
「――おいおい……なんて冴えない雰囲気だよまったく。この町のヒーローの華々しい登場シーンだぞ? いつもみたいに馬鹿騒ぎして場を盛り上げろよモブ共。拍手喝采はどうした?」
その声の主は、体中から黒煙を出しながらピクリとも動かない男性の脇に立っていた。
彼の正体に気がついた人々は――数秒後には歓喜の声を上げていた。
ワアアアアアアアア……。
『きゃー! ダニエル様~っ!』
『ダニエル様かっこいい~っ!』
若い女性たちからも黄色い歓声が上がる。
「鈍い奴らだよホント。主役を引き立てられない脇役以下に存在価値なんてないのにさ」
舌打ちをひとつ、それからウェーブした茶髪をキザな手つきで掻き上げる美青年。
光沢のある金色の軽装鎧、綺麗に磨かれた一点物の革靴、彫りの深い造形をした顔立ちのその目の下には、うっすらとそばかすが浮かんでいる。
彼の名はダニエル・レオパルド。
ネバーランドを支配する魔法族ギルド【エスプル・ハルディン】の一員にして、この港町の位置する島の西岸一帯を治める大領主『レオパルド家』の跡取り息子だ
いずれはドランクタウンも、彼自身の領地の一つとなる予定らしい……。
……一方で。
「……ぐず……っ」
一部始終を見守っていたメルは、ポロポロと涙を零していた。
――ひどい。
ひどい、ひどい、ひどい、ひどい。
捕まえるだけなら、あんなやり方しなくたっていいじゃない。
あの男の人だって、一生懸命に生きようとしてただけなのに。
本当は普通の幸せに憧れてるだけなのに、生きることすら許されないの?
――強かったら、何をしてもいいの?
太陽の光が照らす大通りの中で賞賛を浴びて、空を仰ぎ高らかに笑うダニエル。
暗い影が落ちる狭い路地裏の中で悔しさのあまり、下を向いて涙を流すメル。
今朝は生きる場所も、生きる金も、生きる命すらも、自分の手からこぼれ落ちる夢を見たばかりだ。
ただ目の前で起きる不条理を、弱者は黙って見て見ぬ振りをすることしか出来ないのか。
圧倒的な力の差を前にして、メルは絶望していた。
「……もどらなぐちゃ……」
メルは涙を拭って、鼻も啜って、仕事に戻ることにした。
腹立ち紛れに一矢報いることも出来ない自分が、悔しくて、情けなくて。
でも、どんなに辛くても時間は待ってはくれない。
今日という日常はまだ続いていく……。
止む気配のなかった涙をそれでも押し殺して、今度こそメルは店の扉を開けたのだった。
高笑いを続けるダニエルの元に彼の取り巻きの一人が駆け寄ってくる。
『ダニエルさん、店で少々揉め事が発生しているようです』
ダニエルは笑みを引っ込め、真顔で隣を睨みつける。
「それは……今回の事件と何か関係がある話なんだろうな?」
実はダニエル&取り巻きたちが今日この町に来たのにはある理由があった。
それは、ここ数週間で頻発している〝連続通り魔事件〟の犯人探しをするためである。
『い、いえ……すみません。どうやら男二人が大喧嘩をしているらしく、今は重要任務中だと断ったんですが……あの酒場の女店主にダニエル様に伝えてほしいと懇願されて……』
その取り巻きは恐る恐る――――メルが働く酒場『コルクの家』を指差した。
「……はぁ、ホントにこの町は下品で治安が悪いな。まあ、さっきみたいに悪者退治でストレス発散できるのはヒーロー気質の僕としては気分がいいが……」
面倒臭そうに愚痴を零すダニエル。
だが……ここ最近は自身の華麗なる人生にも目立った刺激が少なく、そのせいでどこか退屈を感じていたせいなのだろうか。
この時の彼は、さらなる情報を求めてしまった……。
「そいつらは人間族だろ?」
『ええ。海外から来たどこぞの賞金稼ぎと、この町出身のプロレスラーだそうです』
「賞金稼ぎか……。もしかしたら何かしらの情報を持っているかもしれないな。……よし、今からそいつに会いに行こう」
『はい、ダニエルさん』
「今回は僕自ら手柄を立てれば、あの頑固親父はすぐにでも『レオパルド家当主』の座を譲って隠居すると約束してくれた。絶対にやり遂げてみせるさ」
それからダニエルは不気味な笑みを浮かべ、腹黒そうな面差しでこう呟いた。
「――ついでに賞金も持ってたら、力尽くで全部奪って今夜の高級クラブでの飲み代の足しにでもしてやるか。フフフ……」
酒場の店内、裏口付近。
年季の入った木造の空間は木の温かさよりも古ぼけた地味な雰囲気を醸し出し、長年に渡っていろんな客たちが置き去りにしていった数多の残り香がじわりと染み付いている。
外の明るい大通りを見ていたメルは突然の暗がりに目が慣れず、視界は何も見えない。
それでも店の中を漂う酒&煙草が混じった独特の匂いと肌に触れる空気の質量はいつもよりも、重く、ずっしりと感じられた。
……どうやら、今は普段の店の様子とは明らかに違う点がもう一つ。
それはメルの視線の先にある異様な人の気配だ。
「……?」
沈んだ気分で店内に戻ったメルだが、その違和感にはすぐに気がついた。
徐々に暗がりに慣れてくると、少し離れた広間の一部の光景が目に入る。
この酒場の女店主がガクガクと震えながら腰を抜かしており、彼女の目はメルの立ち位置からは壁が邪魔で見えない場所の『何か』を見つめていた。
それが人なのか、はたまた別のものなのかはまだ分からないが……。
ふと、女店主がこちらの存在に気がつき、そのまま素早く立ち上がって駆け寄ってきた。
『ああっ、あんたやっと戻ってきたかい! 遅いじゃないか!』
「はい……ごめんなさい、リンダさん」
『それよりも早く、あの迷惑な男どもにこの店から出てくよう言っとくれよ! いきなり取っ組み合いの大喧嘩始めちまって、店の家具も壊しまくってんだ!』
「えっ……」
『さっき店の前を通りがかったシュバリエにダニエル様を呼んでくるように頼んだけど、あんな高貴なお方がわざわざこんなボロい店の揉め事を救って下さるかどうか……。でも止めようにも腕っ節があまりに強くて、仲裁に入った常連の漁師どもだって全員伸びちまったし……』
「そ、それは、私なんかじゃ止められないですっ! きっと殴られちゃいますっ!」
『あんたっ、雑用係だろ! 十年も面倒見てやってんだから、そのくらい覚悟しなよっ!』
女店主に力強く背中を押されて、勢いよく広間に飛び出たメル。
広間は昼夜共に薄暗く、その場にいる人々の体内時計を狂わせる……まるで世間の時間感覚から切り離されたかのような、極めて閉鎖的な空間だ。
店内の明かりは天井からぶら下がるいくつかのランタンと、表の大通りと繋がっている両開き扉の隙間から差し込む僅かな陽の光だけ。
メルが広間をぐるりと見渡すと、家具も床も天井も全てがボロボロだった。
そして……その原因たる二人の男は、そんな荒れ果てた空間のド真ん中に立っていた。
『……』
「……」
両者は鋭い目つきで睨み合い、現在は冷戦状態のようだ。
だがしかし、一触即発の状況であることに変わりはない様子で、再び喧嘩が白熱する可能性は極めて高かった。
そんな中、メルはすぅっと息を吸い込み、この空間に張り詰めた緊張の糸を解すように優しく宥めるような口調で二人に話しかけた。
「あ、あの……」
ああん⁉
ビクッと、思わず身震いしてしまうメル。
背筋を凍らせながらもメルは一歩も引かずに、その場から離れることなく、二人にゆっくりと目配せをする。
しばし無言の時が流れたが、彼らからは一向に拳が飛んでくる気配はない……。
真っ二つに割れた家具&この三人の近くで横たわる屈強な漁師たちと、あくまで女性のメルが同じ結末を辿ることはないようだ。
その事実に少しばかりの安堵を覚えつつ、今度はさっきよりも堂々とした声色とトーンでメルは言った。
「喧嘩の理由を教えて頂けませんか? 何か……当店に不手際がございましたか?」
『……喧嘩の理由だぁ?』
片方の強面男が口火を切る。
男はスキンヘッドの巨漢であり、不機嫌さも相まって極めて厳めしい顔つきをしていた。
『そんなもん、コイツがいきなり突っかかってきたからに決まってんだろうが!』
猛獣の雄叫びのような迫力満点の怒声を上げて、大男は激しく憤慨した。
その場にいたほぼ全員の身体が硬直したが……もう一人の青年の方は変わらず強面男の目を睨み続けている。
「――さっさと俺の質問に答えろ、〝怪力のブルース〟。お前の首なんかに興味はない」
まるで狩人のような冷徹な口調で、彼はそう言った。
正直……その青年はあまり強そうな風貌ではなかった。
極端に色白な肌、少年の面影がある童顔、灰色混じりの群青の髪、野心的な紅玉色の瞳。
体格も男としては華奢な部類で、紺色のシャツに黒ズボンと服装もやや落ち着いている。
装飾品は左耳の銀ピアスだけで、あとは腰に小さな革製のポーチを付けているのみだ。
おそらくだが、年齢はメルと大して変わらない。
『オレの名前はゴードンだ! 誰と見間違えてんだ、この酔っ払いのヒョロガキが!』
(え、喧嘩の理由ってまさか……ただの人違い?)
薄暗い店内の不確かな明かりの中でメルが青年の顔をじっと見てみると、彼の顔は紅潮しており、目の焦点もどこか合っていない気がする……だいぶ酔っている様子だ。
『そこいらに転がってる漁師の連中だってな、オレは一切手出ししちゃいねぇぞ? 全部コイツが伸しやがったんだ!』
「そ、そうなんですね……」
メルは引き気味にそう答えるしかなかった。
昔から常連客としてこの酒場に来ては、いつも看板娘の彼女にちょっとしたセクハラじみた言動をしていた港の漁師たちは今、白目を剥いて口の端から泡を吹いて倒れている。
あまり店にとって好ましい態度の客ではなかったからか、そこまで心は痛まなかった。
(人は見かけによらない、ってことなのかな……?)
この青年のどこに、そんな〝暴力性〟が眠っているのだろうか……甚だ謎である。
そんな酔っ払いの青年が続けて言った。
「お前の『親玉』は今どこにいる……。俺はあの男を倒すためにこの島に来たんだ」
『だから何も知らねえって何度言ったら分かるんだ、畜生め! いい加減にしろ!』
「しらばっくれるな! このハゲッ!」
『なんだと⁉ てめえ、ぶっ殺すぞ!』
互いに胸ぐらを掴み合い、喧嘩は再び激しさを増し始める……。
どうしよう、これは話が通じなさそうだ。
そう思ったメルは事態をどう対処したらいいのか、あれこれと頭を悩ませていると。
「――なんだ、やっぱりどっちも弱そうじゃないか」
「……!」
聞き覚えのある声と共に、表の両開き扉が開く。
ダニエル・レオパルドだ。
「あー……僕、この店嫌いだな」
酒場に入って数秒、ダニエルは露骨に顔を顰める。
「暗いし、空気も淀んでて重っ苦しい。オマケに壁も床も天井も、地味で、ボロくて、パッとしない。客も店員も陰気な面ばっかり……――――プッ。なんだがナメクジみたいだ」
『『ハハハハハハ!』』
あとから入ってきた取り巻きたちが大笑い。
「……っ」
その言葉は、傷ついたメルの心をさらに深く傷つけた。
十年間、いい思い出なんて殆どないこの酒場を否定されて、なぜ自分が傷つくのかは分からない。
……ただ、この酒場の悪口がまるで自分に向けられた言葉のように、今の彼女にはダイレクトに響いたのだった。
『ああっ、ダニエル様! 来て下さって助かりました!』
女店主が縋るような目をしながら、水仕事であかぎれた両手を胸の前で握り合わせる。
「ま、一応は僕もシュバリエだからね」
――シュバリエとは、ネバーランドにいる魔法族の〝愛称〟のようなものである。
ネバーランドは別名、騎士の国。
この島国を治める魔法族ギルド【エスプル・ハルディン】の規律と統率を重んじる気風と島内の平和と秩序のために命を捧げる彼らの騎士道精神を称える意味で、島の住人たちからそう呼ばれているのだ。
世界各地で昼夜血みどろの〝勢力争い〟を繰り広げている海外の野蛮な魔法族と比較すれば、ネバーランドの魔法族が上品に見えるのも無理はなかった。
「だがこんな場所に長居したくはない。……おい、そこの灰被り頭」
「――は?」
灰色混じりの群青髪の、その青年がダニエルにガンを飛ばす。
すると、青年の胸ぐらを掴んでいた強面男がその手をサッと離し、慌ててダニエルを諭し出した。
『ダ、ダニエル様! 大変申し訳ございません! このガキはよそ者な上に礼儀知らずなようで……』
「僕は君には話しかけていない」
『し、失礼致しました……』
みるみるうちに強面男の存在感がその場から消え失せ……代わりにダニエルの覇気が空間を支配していく。
コツン、コツン、と革靴の音を立てながら、青年の方に歩み寄るダニエル。
「君に聞きたいことがあったんだが……先にこの町のルールを教える必要が――」
バシャア。
「……」
一瞬の出来事だった。
皆の頭の理解が追いつかない。
((……⁉))
全員が起きた出来事に気づいた時には、麦色の雫がダニエルの顔を濡らし、彼の茶色の毛先からポタポタと床に滴っていた。
ダニエルの顔の前に突き出された青年の手には、先刻まで彼らの近くに転がっていた樽ジョッキが握られている。……中身がまだ少し残っていたようだ。
「邪魔だ、消え失せろボンボン」
『お、お前っ……なんてことをおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
ボォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ‼
怒りのダニエルの蹴撃によって店内で爆炎が発生し、その場にいた全員が仰天する……。
(――熱いっ!)
青年の近くに立っていたメルの全身を激しい熱風が吹き抜けた。
直後……酒場の広間からカウンター裏の厨房の方まで、ダニエルの前方にあった全てのものが見事に焼き尽くされていた。
ジジジジジ……。
「フーッ、フーッ!」
全身に高熱を帯びながら周囲に火花を巻き散らすダニエルをこれ以上は暴れさせまいと、彼の取り巻きたちがすぐさま制止に入った。
『やり過ぎですよダニエルさん! 興奮を抑えて!』
『魔法はもうその辺に……!』
「!」
ダニエルはハッとして、我に返る。
「あ、ああ……。ついカッとなって自分を見失ってしまった……。僕としたことが、本分を忘れてたよ……」
青年と強面男の姿は広間にはなかった。……厨房の方まで吹き飛ばされたのだろうか?
「ま……また人が……死んじゃ……っ」
呆気なく人の命が奪われる絶望感が、再びメルを襲う。
『ダ、ダニエル様っ! どうぞ、これでお顔をお拭きになって……』
冷静さを取り戻したダニエルに、女店主が急いでおしぼりを差し出すが……。
バシッ。
「いらない。そんな薄汚い布切れをこの僕に使わせるな。……次に無礼を働いたらお前も処刑するぞ?」
ヒィッ! と情けない声を上げ、女店主は再び腰を抜かしてしまう。
いくぞ、と号令を出し、速やかに店から出ようとするダニエル一行。
……バキッ。
「?」
背後に木材の割れる音を聞いた気がしたダニエルが、振り返ろうとした。
――次の瞬間。
ダニエルは酒場の扉をぶち破り、外の大通りへと吹き飛ばされたのだった。
一方その頃。
大通りでは、酒場の中で起きた揉め事&ダニエルの行動が気になってたまらない大勢の住人たちがその場に立ち尽くし、中には好奇心から恐る恐る店内の様子を伺う者までいた。
野次馬根性、ここに極まれり。
ドカァァアアアアアアアアンッ!
『『うわああああああ!』』
野次馬となっていた住人たちが絶叫した。先ほどの店内の爆炎騒動に続き、今度は店の中から誰かが勢いよく飛び出してきたことで、さらにパニックは拡大していく……。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
咳き込みながら倒れているその人物が、この町のヒーロー・ダニエル・レオパルドであると気づくと、思わず皆が息を呑んだ。
『『ダ、ダニエル様……?』』
(背中が、痛いっ! 何が起きたんだ……⁉ まさか……この僕が蹴られたのか⁉)
ザッ、ザッ……。そんな足音と共に。
薄暗い酒場の店内から明るい大通りへと出てきた、一人の男。
それは……灰色混じりの群青の髪の、あの青年だった。
「――さっきは筋のいい蹴りだったが、ちと爆発の重みが足りねえかな。まあ……酔い醒ましにはちょうどいいか」
まだ体中から黒い煙を出しながらも、その態度には余裕があり、どこか飄々とした様子だ。
「……君は、一体何者だい?」
ダニエルはヨロヨロと立ち上がりながら、彼に尋ねる。
「ん、俺か?」
その問いかけに、青年は極めて快活な声でこう答えるのであった。
「俺の名はロミオ。さすらいの賞金稼ぎだ!」
堂々とした、とても自信に満ちあふれた立派な名乗りだった。
すると、住人の一人が少し遅れて反応する。
『賞金稼ぎのロミオって……あの〝英雄〟か?』
――〝英雄〟。通称、『魔法族狩り』。
どこかの大陸出身の人間族の青年で、このネバーランドにおいても名が通っている程の超一流の賞金稼ぎだ。
今から三年前に彗星の如く現れてから、その人間離れした超人的な怪力によって魔法族顔負けの大立ち回りで次々と名のある大物賞金首を狩ってきた男。
これまで単独で倒した賞金首の人数は百二十人以上、その内魔法族は六十八人。
噂によると、彼が稼ぎ出した懸賞金の総額は、ゆうに十億シェルを超えるらしい……。
ちなみに『シェル』とは、この世界における通貨の単位である。
目安として、普通のリンゴ一個で百シェルだ。
思わぬ有名人の登場に、皆が騒然としていた。
『本当に実在したんだ……』
『魔法族を倒せるって、本当に人間族なの?』
『どんな怪物かと思ったが……見たところ、ただの青年じゃないか』
「おおっ、やっぱみんな俺のこと知ってんのか! うへへ……なんだか、悪くない気分だぜ」
周囲のざわめきの中、当のロミオはどこか照れくさそうだ。
そんな彼の様子を、メルも酒場の中から見つめていた。
「あの人が……〝英雄〟?」
世間知らずなメルの耳にも彼の噂は届いていたが、彼女はその存在をあまり信じていなかった。
故郷の惨劇を知るメルからすれば、〝英雄〟の伝説は作り話や空想の類いにしか聞こえなかったのだ。
だが……実際に自分の目の前に現れたとなれば、これまでの認識も大きく変わってくる。
(魔法族よりも強い人間族――――〝魔法族の天敵〟。もしかして本当なのかな……!)
しかし。
その場でただ一人だけ、そんなロミオを冷ややかに見ていた人物がいた。
「――君たちは本当にバカだなぁ」
『えっ……』
「嘘に決まってるだろ。フィクションだよ、フィクション。もし人間族が魔法族に勝てるなら、なんで千年間誰も魔法族に勝てなかったんだい?」
その人物は、やはりダニエル・レオパルドだった。
『た、確かに……無理だよな。常識的に考えて』
『絶対に、あり得ないよね……。人間族が魔法族に勝つなんて不可能だし……』
ロミオの妙な存在感に呑まれていた皆の心が、再び現実に引き戻されていく。
ダニエルの台詞を聞いたロミオは照れる仕草を辞め、すぐに反応する。
「嘘だって? ……聞き捨てならねえな」
「君がそこそこ強いのは分かったよ。背後から不意打ちとはいえ、あの蹴りには正直驚いたからね」
ダニエルは不敵に笑い、言葉を続けた。
「でも――その強さも人間族の領域を超えない」
あっ、とロミオが小さな声を漏らすが、ダニエルは気がつかない。
「そもそも魔法族の真の恐ろしさを知る者ならば、生身で魔法族に勝負を挑むなんて軽率な真似はしないハズだ」
うっ、とロミオが自分の口を両手で押さえるが、ダニエルは気にも留めない。
「どこの辺鄙な田舎から来たかは知らないが、世間知らずもほどほどにしておくべきだ。井の中の蛙大海を知ら――」
ロミオの顔色が、いつにも増して青白くなっているが……。
「……話聞いてる?」
流石のダニエルも、ここは突っ込んだ。
そして。
おぇぇええええええええ……けほっ!
ロミオが、盛大に嘔吐した……。
『『ぎゃあああああああっ!』』
周囲の若い女性たちからは悲鳴が上がる。
皆の視線が、瞬時にダニエルからロミオの吐瀉物へと移り変わる。
「おぉぉ……全部出た」
酒場で味わった全ての飲食物を吐き出したロミオの顔色は、もう元の白さに戻っていた。
「すまん、途中から聞いてなかったわ。……悪いけど、もう一回最初から言ってくれるか?」
「――」
言葉が出てこない。
プツン、とダニエルの中で何かの糸が切れた。
ロミオの無自覚の挑発的態度、上手く掴めない展開、自分から離れていく周囲の人々の関心……。生まれてはじめての数々の屈辱を味わったダニエルの腑はいつになく激しく煮えくり返っていた。
「――いいさ。君はどうせ、主役にはなれない。君たち人間族はね、そういう惨めな星の下に生まれた生き物なんだ」
「星? 惨め? なに言ってんだお前」
「神は魔法族を祝福し、人間族を差別したんだ。君は選ばれなかった存在……ただ、これだけのことさ」
――この世界の理は至ってシンプルなんだ。
「〝英雄〟……『魔法族狩り』……? 全てにおいて魔法族に敵わない人間族が憂さ晴らしに作り出した、ただのメルヘンなおとぎ話さ」
言い終えた後、ダニエルは次の台詞を言うまでの僅か数秒の間に、ある決意を固めた。
それは――。
「そんなくだらないおとぎ話は――――今日この僕がここで終わらせてやる」
――――『ロミオをこの場で〝公開処刑〟する』という決意だった……。
ロミオとダニエル。
二人の若き青年の戦いの火蓋が切られる瞬間を、この場にいる全員が待ち望んでいた。
……ただ一人の少女を除いて。
(もう、誰も死んでほしくない……。神様、お願いします。どうか私のこの思いだけは、絶対に叶いますように――)
メルは両手を祈るように重ねて、どこかの神様にそう願った。
「僕はダニエル・レオパルド。このドランクタウンを含むネバーランド西岸一帯を治める大貴族『ガンドロフ・レオパルド卿』の息子にして、レオパルド家の次期当主だ」
続けざまに。
「この世界には二種類の存在がいる。光を浴びて華麗に人生を謳歌する輝かしい主役と、影に潜んで一生を凡庸に過ごすだけの惨めな脇役以下だ」
「二十年生きてて分かったんだ。この世界の主役が僕だってことにさ」
「この世界に生きる全ての人間族と亜人族は魔法族を引き立たせるための〝負け犬共〟。そしてこの世界にある光はすべて僕を照らすための〝スポットライト〟だ」
「太陽も月も、蝋燭も雷も、金銀も宝石も……そしてこの火花もね」
ジジジジジ……。
ダニエルは開いた右手から、火花を散らしてみせる。
「君はまだ、僕の異名を知らないだろ?」
ダニエル・レオパルド
異名:〝火花のダニエル〟
セーブポイント数:三〇
魔法:火の精霊・サラマンダー
――セーブポイント数は、魔法族にとって強さを表すステータスだ。
正確には、かつて魔法族が地上に降り立った千年前、当時の天空島の高度な魔導技術を有した魔導師たちによって作られた『セーブポイント』と呼ばれる領土管理システムの所有数を表している。
セーブポイントに記録されるのは、一定領域内のあらゆる自然環境、人工物、住人、資源……。システムは発光する円状の盤面になっており、魔法族が生まれ持つ固有の背中の刻印を登録すると、その魔法族はその土地の王になれるのだ。
ただし……魔法族が寿命や戦いで死んだ場合、あるいは自らの意思で登録解除の呪文を読み上げた場合には、そのセーブポイントの所有権は完全に消失してしまう。
というわけで、所有するセーブポイントの数が多い魔法族というのは、それだけの広域を支配・維持できる程の実力を有している正真正銘の強者というワケなのである。
ちなみに名前の由来は、魔法族が世界をRPGのように冒険した後、自分の攻略した土地に攻略の証としてこのシステムを導入することで、天空島に一時的に戻る際などに他の魔法族に土地を取られないように〝保護〟したという歴史からきているようだ……。
「ところで……さっきから俺の意思関係なく話進んでるけど、俺とお前が戦うってこと?」
ダニエルからの凄まじい殺気を感じ取ったロミオが一応確認する。
「怖じ気づいたかい?」
「いや……別にいいよ。お前なんか俺の邪魔してきたし、なんとなく嫌いなタイプだわ」
「ハハハ……それはなによりだ」
「でもその前にさ、俺今この男を探してんだけど……居場所とか知ってる?」
そう言ったロミオが一枚の手配書を空中に放った後……腰のポーチから取り出したナイフを手配書目掛けてビュンッと投げつけた。
手配書を貫いたナイフはそのまま、勢いが止まることなくダニエルの方へと飛んでいく……。
「……はぁ」
パシッと。
ナイフの両腹を軽く掴んで止めてみせるダニエル。
『おお~!』と周りの住人たちは感嘆の声を上げるが、ダニエルは無反応で手配書を見た。
……数秒経ち。
「フッ――こんな世界的大犯罪者なんているはずないだろ。もしこの国にいたら、とっくに皆気づいてるさ」
ダニエルは手配書をビリビリに破り捨て、ナイフもそこらに雑に放り投げた。
「……そっか、悪いな。忘れてくれ」
少し気を落とすロミオだったが、すぐに切り替えて目前のダニエル戦に備えるのだった。
――一応、これだけは今のうちに述べておこう。
この時ダニエルが見た手配書は、アダムという男のものだった。
異名は、〝絶望〟。
懸賞金額は重要情報提供のみで二億シェルが懸けられている。極めて危険な人物だ。
いずれこの男の行方&正体が判明するその時、ネバーランドにかつてない災厄が訪れることは……今はまだ先の話である。
「ロミオ……だっけ? これから〝公開処刑〟を始める前に、君が作ったそのおとぎ話の根拠を聞かせてくれないか?」
「ん、根拠って?」
「いや、悪いね? 人間族がどうやって魔法族を倒すのか、そのロジックのことだよ」
「俺が魔法族をどうやって倒してきたのかを知りてえってことだな。……いいぜ」
「……『筋肉』だ!」
「……は?」
その場の時間が停止する。
「あれ、聞こえなかったか?」
そしてもう一度ロミオは言い直す。
「……『筋肉』だ!」
『……ぷっ』
誰かが吹き出すと同時に、その場にドッと大きな笑いが湧き起こった。
『何言ってんだこいつ!』
アハハハハハハハ。
「ハハハハハハッ! 何を言い出すかと思えば、筋肉だって⁉ 気でも狂ったのかい⁉」
思わずダニエルも涙を流しながら大爆笑。
すると。
「――笑ったな?」
そんな中、ロミオが冷たく突き刺すような口調で周囲の空気をカチ割った。
「筋肉を笑う奴は筋肉に泣くんだ。俺はこれまでそういう魔法族を六十八人見てきたぞ?」
「そんなヒョロい身体のどこに筋肉があるって? 調子狂うから笑わせないでくれよ!」
周囲の笑いはまだ止まない。
そんな彼らを見て、ロミオは呆れた様子で溜息をつき……。
「ハァ……しょうがねえな。じゃあ見せてやるよ」
「ほう、何を?」
ロミオは半笑いのダニエルを真っ直ぐな瞳で見つめながら答える。
「だから、俺の筋肉をだよ」
そう言った後、突然その場で力み出すロミオ。
住人たちはその突飛な発想に緊張が解れてしまい、あまりロミオの様子を注視していなかったのだが……。
――――ムキッ、ムキムキムキッ。
「……ん?」
最初に変化に気がついたのは、ダニエルだった。
錯覚だろうか。少しずつ、ロミオの肉体が大きくなっているような……。
――――ムキムキムキムキ……。
「はああああああ……!」
ムキムキムキムキムキ、ムキンッ!
『『え、ちょ……――――はあっ⁉』』
動揺を隠せない住人たち……。
彼らの視線の先にいたのは――――〝別人のような姿〟へと変わり果てたロミオだった。
元の成人男性の平均並だった彼の身長は、確実に二メートルを超え……。
明らかに丈が余った紺色のシャツ&黒ズボンが肥大化した筋肉によってパツパツとなり、今にもはち切れんばかりである……。
全身の筋肉が見事に膨れ上がった筋骨隆々の青年の姿に対して、周囲の人々の笑いが一瞬で驚きに変わった。
なんと。
華奢だったロミオの肉体は、いつのまにか立派なマッチョへと大変身していたのだ!
ふぅぅぅぅぅぅ……。と、腹の底からの、深く、長い息吹を吐くロミオ。
急過ぎる展開についていけない住人の一人が慌てて突っ込む。
『ど、ど、どどどどどうなってんだお前の身体は!』
ロミオは若干引いたような口調で答える。
「えっ、なにお前ら……『筋肉量の自由調節』も出来ねえの……?」
『『普通出来ねえよッ‼』』
「ふーん、まあいいや。モブに興味ないしぃ~♪」
((こいつ、マイペース過ぎない……?))
言葉足らずで気分屋のロミオに変わって説明すると……。
ロミオは自分の筋肉の量を自由自在に増減させられる特殊体質の持ち主なのである。
イメージを他のもので喩えるならば、まるで全身に巻き付けたベルトの穴を何個か緩めるような……そんな感じの段階的な筋肉量の変化だ。
……あり得ない? やっぱりこいつ人間じゃないだろって?
でも、それなら君たちの世界に稀に現れる〝超能力者〟の存在はどう説明するのかな?
「……ただの虚仮威しだ。――『ブースト』」
ダンッ!
体中から火花を散らすダニエルが地面を力強く蹴った後、凄まじい速度でロミオの方へと駆け出した。
あと五メートル、四、三……二、のタイミングでダニエルの姿がフッと消えた。
『『消えたっ⁉』』
住人たちが動揺する中……。
「……いや?」
バッと、素早く頭上で両腕を交差させる筋肉質なロミオ。
すると。
ドシィィイイイイイイイイイイイイイイイイインッ‼
『『⁉』』
衝撃音の方向に皆が視線を向けると……。
突如として空中に出現したダニエルがロミオの両腕に強烈な踵落としを喰らわせていた。
ダニエルの蹴撃を受けたロミオの両足の石畳の地面に、ビキビキと亀裂が走っていく。
華麗な動きで着地したダニエルが舌打ちする。
「チッ……流石にこの程度じゃ死なないか」
「速度は及第点……でもやっぱりお前、腰の入れ方が甘いな」
多少の痺れと高熱を帯びた両腕をブラブラと揺らしながらも、ロミオは余裕のある態度を見せる。
――『ブースト』とは、魔法族が使う肉体強化技術だ。
魔力を消費して己の肉体強度を大幅に向上させることで、敵から受けるダメージを軽減するだけでなく、身体能力&攻撃技の威力も格段に飛躍させる効果がある。
つまり……先ほど一瞬で消えたように見えたダニエルは、強化した脚力によって目にも止まらぬ速さで空中に飛び上がっただけ……。
要は、ただの魔法ドーピングである。
だがこの時点で住人たちは皆、勝負の展開についていけない様子だ。
人間族(筋肉系超能力者)VS魔法族。
二人の戦いは、もはや常人の目で追えるような次元の戦いではなかったのだ。
「今のは準備運動だ。今度はこの技も受けてみなよ、君の自慢の筋肉でさ!」
ダニエルがその場で激しく回転し始める……。
ギュルルルルルルルルルルルッ……。
――火炎車〟ッ‼
すると、火だるま状態のダニエルがロミオ目掛けて急接近する。
その姿はまるで業火の車輪――。
「おおっ、やべっ!」
自慢の筋肉を色んなポーズで見せびらかしていたロミオ。
しかしそんな彼ですら流石に危機感を感じたのか、機敏な動きでダニエルの接近を回避した。
(!)
勢い余ったダニエルは回転を止めるべく、そのまま近くの建物の壁に自ら衝突する。
ドォォオオオオオオオオンッ! とド派手な破壊音を響かせながら、石造りの壁がガラガラと崩れ落ちていく……。
壁には……直径数メートルの大穴が開いていた。
『凄い威力だ……!』
取り巻きのシュバリエすらも慄いていた。
しかし、その大技も肝心のロミオには当たっていない。
「おっかねえな……。おいっ、もっとコントロールしっかりしろよ!」
「ハハハッ、避けて正解だよ! この技はなんでも木っ端微塵にしてしまうからね!」
ジジジジジジジ……。
火花の激しさが増すと共に、ここからの二人の勝負展開も一層熱く燃え上がる。
ダニエルの爆炎が大通りを彩り、ロミオの軽やかな動き&筋肉が人々を魅了した……。
ロミオが反撃に出ると。
「〝ヘッドバット〟!」
「ぶっ……!」
トナカイのような強烈な頭突きでダニエルの鼻を潰し……。
「〝シルバーバック〟!」
「おぇっ……!」
ゴリラのような重いボディブローでダニエルの鳩尾を殴り……。
ダニエルが再び攻勢に出ると。
「〝竜の息吹〟‼」
ボォォオオオオッ!
「うおぉっ!」
ワイバーンのようにロミオに向けて口から炎を吹き……。
「〝炎の行進〟‼」
「あっちぃ!」
サラマンダーのようにロミオ目掛けて火だるま状態で突進し……。
『ダニエル様と互角に戦ってる……?』
勝負の展開をじっと見守っていた住人たちが、次第にざわつき始める。
「あの人……きっと、本物なんだ……!」
メルの胸の中にあった〝英雄〟の伝説への疑念が、少しずつ確信に変わっていく……。
そんな技の応酬が数分続いた後……。
「ハァ……ハァ……」
ダニエルは、息を切らしてバテていた。
「どうした? まだ俺の筋肉は一発も会心の一撃喰らってねえぞ?」
「クソッ……ちょこまかと動きやがって……!」
ダニエルの表情からは余裕が消え、強気だった態度にも焦りや不安が見え始める……。
「――やっぱりお前もそうか」
「?」
「お前はいつも一瞬で勝負を終わらせてきた……違うか?」
「ああ……僕の爆炎を食らって立ち上がったのは、人間族では君がはじめてだ」
予想的中したロミオが、得意げにふふんっと鼻を鳴らす。
「魔法は確かに強い。そんな武器を使える体質に生まれてくる魔法族は人の形をしたモンスターだ」
ロミオはニヤリと笑って。
「だが――魔法族だって生き物なんだ」
「……何が言いたい?」
「つまり体力は有限、魔力も有限。動き回れば疲れるし、魔法もポンポン打ちまくりゃあいずれは使えなくなるワケだ」
「!」
(まさか最初から持久戦で僕を消耗させるつもりで……っ⁉)
「その上魔法を相手に命中させる技術も必要ときたもんだ……結局は使い手の力量次第さ」
それからロミオは自分の筋肉を見せつけながら言う。
「教えてやろう、ダニエル君。生物に残された最後の砦、それが『筋肉』だ!」
ムキッ!
ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ!
ダニエルが地団駄を踏み始める。
「何が筋肉だ、畜生……ッ! 魔法族はこの世界の絶対王者だ! こんなふざけた人間族なんかに魔法族が負けるはずがない!」
「魔法族が王者と恐れられてきたのは、魔法故でなく未知だからだよ。魔法族が人間族を殺す時はいつも一瞬……情報は極めて得にくかっただろうな。だが、ここにきて魔法一発で倒せない人間族が現れた……それが俺だ」
筋肉を擦りながらロミオは続ける。
「情報は一度漏れてしまえば伝播し、いずれは必ず対策が取られる。だから魔法族は皆、昔から親にこう教育されてきたんじゃないのか? 『他種族の前で無暗に魔法を使うな』ってさ」
「っ⁉」
ダニエルは幼い頃から父・ガンドロフがいつも口にしていた言葉を思い出す。
『魔法を使う時は、必ず一発で敵を仕留めろ』。
(あの言葉は、そういう意味だったのか……!)
取り巻きのシュバリエたちはいつも、ダニエルが魔法を連発すると慌てて止めてきた。
彼らはダニエルの魔力&体力の消費を心配すると共に、大貴族である彼の父親から子守を任されていたのだ。
「クソジジイが……馬鹿にしやがって……っ!」
ダニエルは過保護な父親に対する憤りと、今日までこの事実に気がつかなかった自分への恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
「そして、俺はここまでの戦いでお前に〝実力〟がないことを暴き出した」
「〝実力〟……?」
「お前は強い武器と恵まれた才能を持って生まれただけの、ただの雑魚魔法族だ」
「! なんだと⁉」
「体力、魔法、性格、癖……。全部見た上で、俺はお前に勝てると判断したよ」
「……っ」
「KO宣言だ。俺の大技一発でお前は倒れるぞ!」
一方、大口を叩き続けるロミオを間近で見ていた住人たちはというと――。
(あれ、どっちが勝つんだ……この勝負?)
(まさか、ダニエル様が負けるわけないよね……?)
ロミオとダニエル、二人の青年の間で人々の心は大きく揺れ動いていた。
(つ、強い……! あのダニエルさんが、ほぼ歯が立たないなんて……!)
絶望に打ちひしがれていたメルの心に、希望の光が差し込む……。
皆の〝常識〟という壁が少しずつ音を立てて崩れていく……。
ダニエルに支配されていたドランクタウンの日常が今、ロミオという不思議な存在によって変わろうとしていた。
「あり得ない……! 魔法族は千年間も世界を支配し続けたんだぞ! なぜ今さら人間族の君がいきなり魔法族を倒し始めるんだ⁉ どう考えても文脈がおかしいだろっ!」
「それは……」
「……俺が〝千年に一人の筋肉の天才〟だったんじゃねーの?」
((筋肉の天才って何……⁉))
聞き慣れない単語に皆が心の中で突っ込んだ。
「僕は神に選ばれた存在なんだ! 生まれながらのヒーローなんだ! 人間族のゴミとして生まれてきた君は僕に処刑されるべき悪役なんだ!」
「へへっ、予定調和のヒーロー劇なんてつまらないだろ?」
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁぁああああああああああああっ‼」
――――〝灼熱地獄〟ッ‼
発狂したダニエルが、油断していたロミオに最後の急襲を仕掛けにいく。
「!」
思わず反応が遅れたロミオの腹部に……。
ボォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!
ダニエルの残りの魔力の全てを振り絞った全力の蹴りが零距離で炸裂する。
『ついに魔法が当たったぞ! あいつ、モロに喰らった‼』
『『ダニエル様~っ‼』』
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……。
ダニエルの勝利を信じていた側の住人たちの歓声に取り巻きのシュバリエたちの声も混ざり合い、ここまでの勝負の中で最大の盛り上がりに到達した瞬間だった……!
『ダニエルさんの勝ちだ!』
『さすがはレオパルド家の次期当主様だ!』
「フッ、フフフ……。どうだ、僕の炎の焼き加減は……っ! 最後に笑うのはこの――」
ガシッ。
「はえ?」
『『はえ?』』
「――少しは効いたぜ?」
ダニエルの会心の一撃を喰らったはずのロミオが、ダニエルの右脚をガッチリと掴んでいた。
ジュウウウウウ、と掴んだロミオの手のひらの肉が焼ける音がする……。
「あちちちち……!」
と言いつつも手を絶対に離さないロミオを見て、なんだか凄く嫌な予感が頭をよぎるダニエル。
「ま……待て……!」
しかしロミオは待たない。
「ウォォオオオオオオオオオオオオ……!」
「⁉」
呻り始めると共に、ダニエルの軸足が浮く。
「ちょっ……わ、わかっ、分かった! 僕が悪かったからさっ!」
グルン、グルン、グルングルン、グルングルングルングルングルン……。
ロミオはそのまま、ダニエルの身体をグルグルと回し始めた。
「き、聞いてるのか、おい! 謝ってるだろ⁉ この僕が謝ってやってるんだっ!」
グルングルングルン、グルグルグルグルグルグルグルグル……。
『おいっ、これ……どこ飛んでくるか分からないぞ!』
『逃げろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
シュバリエたちの号令と共に、住人たちが一目散に避難する。
『メルっあんた何見てんだい! 早く隠れなよっ! こっち飛んできたら死んじまうよ⁉』
「……」
女店主が避難を促すが、メルはロミオから目を離そうとしなかった。
今この瞬間の真実から、目を背けたくはないから。
「あああああああああああああああああああクソがああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
これまでの人生で一度たりとも体験したことのない程の凄まじい遠心力に引っ張られたダニエルが、今から数十秒後の自らの末路をやっと察し始めたようだった。
もはや周囲にいた住人たちや取り巻きのシュバリエたちがどこに立っているのかすらも分からない。
既に平衡感覚は失われ、いつ自身の右脚から手が離されるのだろうかという不安と恐怖だけがダニエルの心をじわじわと浸食していく……。
そんなダニエルの視点から鮮明に見えるのは、忌まわしいロミオの、憎たらしい笑顔だけだ。
まるで玩具やぬいぐるみを振り回す子供のように、悪戯で、楽しそうなその笑顔が、恐ろしく残酷に見えるのは、負の感情に支配されたダニエルの心が見せた幻の姿か……?
理性的な状況分析も、自慢の軽装鎧も革靴も顔の造形も役に立たない。
精神も肉体も何もかもがめちゃくちゃな……そんな状況の中で、ダニエルの心の底から出て来た渾身の台詞は――――。
「この世界の主役は僕だぁぁあああああああああああああああっ!」
「違う!」
ロミオが即否定する。
「この物語の主人公は、俺だっ!」
それからロミオがさらに回転の勢いを上げていき……。
「〝ハンマー〟ァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
そしてついに。
ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルッ!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
決着の瞬間がやってきた。
「――――――――〝ストライク〟ッ‼」
ボゴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ‼
『『ダニエルさぁぁああああああああああああああああああああああああん‼』』
大通りに木霊するシュバリエたちの絶叫。
ロミオの手を離れたダニエルの身体は……メルのいる酒場『コルクの家』の正面の壁を突き破り――――広間もカウンターも、厨房も壁も、全部を貫いて……。
――ボコォォオオオオオオオオオオオオン!
『ぎゃあっ!』
『なんだ突然⁉ 壁の向こうから何が……!』
『『これって……――――――――――ダニエル様っ⁉』』
ダニエルが静止したのは……建物数軒をぶち抜いた先にある別の通りの道端であった。
「だははははははははははっ!」
シュルルルル……と、ロミオの体型が元の華奢な姿に戻りながら、彼はダニエルがいなくなった大通りのド真ん中で大大大爆笑していた。
((ダニエル様が……負けたっ⁉))
これが、のちにネバーランド内で語り継がれる『ダニエル様ハンマー投げ事件』の終幕である。
この事件が後世に語り継がれるようになった理由は、何も高飛車だったダニエルの無様さな負けっぷりを宴の肴にして笑うためではない。
その理由は、ネバーランドにおけるロミオという伝説の英雄の原点にして、後世の世界において非常に重要な存在となる『ある人物』の人生の転機となる出来事であったためだ。
その人物は……この時はまだ、古びた木造の小さな酒場の看板娘であった。
――幼い頃から働いてきた酒場の壁が崩れ、私の世界はやっと外と繋がってしまった。
彼……ダニエルさんが言っていた言葉、私も信じてしまっていたのかもしれない。
『この世界には二種類の存在がいる。光を浴びて華麗に人生を謳歌する輝かしい主役と、影に潜んで一生を凡庸に過ごすだけの惨めな脇役以下だ』
……でも、そんなつまらない退屈な世界の壁は私自身が勝手に作ってしまっていたんだ。
それを、あの人が私に教えてくれた。
この日、私はロミオさんに出会ったのだ。
どこかの青い惑星の天才が言った。
『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションである』と。
二年後の私は、いったいどんな世界を描いているのだろう。
その答えは今の私には、まだ分からない。
私がそれを知ることになるのはきっと……今この時間と、空間と、出会いから離れた、どんなメルヘンなおとぎ話でも届かないような、素敵な場所。
少し近くて、それでもまだ遠い。
不確かで、快活な――――そんな未来の話である。
追記。
今見ると、最初の章で上手く書けなかった部分とか少し脚色しすぎちゃった部分もあって恥ずかしいな。
本当は自分のことを『看板娘』とか『可憐な容姿』だなんて書きたくはなかったけど、ロミオさんが面白がって消させてくれなかったんだっけ……。
閑話休題。
書き忘れた言葉があったので、またこのページを開いています。
私、メルが書き記したこの物語の内容は、いつか一冊の本にするつもりです。
本を開くと、そこに広がるのは過酷だけど驚きと感動に満ちた楽しい冒険の世界。
一人の賞金稼ぎの青年が仲間たちを連れて〝剣と魔法の世界〟を旅する青春英雄譚。
本のタイトルは。
『―WONDER MAKER―』。

